【過去の日記】忘れること(2008.11.19)

たまに、自分の昔の失敗談や恥ずかしい話なんかを
本当に巧く話す人が居るのだが、
私はその度に、その人へ憧れにも似た畏敬の念を持つ。

私はそういう記憶を、ほぼ忘れてしまった。

記憶というのはうまく出来ている。
自分にとって不都合な記憶を”忘れる”ことが出来る。
と、錯覚することが出来るのだ。

忘れたい記憶の上に、まるで砂をかける様に、
どんどんと新しい記憶を積み重ねていけば、
古い記憶は次第に見えなくなっていく。
そうして随分経ったとき、そこにある事すら”忘れて”しまう。

私はその気楽さに甘んじて、
すぐに砂をかけてしまう癖がついてしまっている。
今ここにある現実でさえ、”辛い”とか”嫌だ”と思った瞬間に、
パッと砂をかけて見えなくしてしまうのだ。
誰にも見えない所で。誰にも見えないように。
いつの間にか、そのまま記憶から消し去られる事を願いながら。

けれどそれは、
傷つきたくないという思いや、人に良く思われたいとか言った、
現実から目を背けているだけの瞬発的な自己防衛手段に過ぎない。
そこにある事実に砂をかけて見えなくしているだけだ。

その場限りの言い訳や、勢いでついてしまう嘘も。

無意識にも働くその自己防衛は、感じた瞬間に反応し、
嫌な記憶はまるで、蟻地獄へ落ちた様に
ズブズブと手の届かない心の奥底へ落ちていく。
しかし、もちろん完全に忘れてしまう事が出来ればいいのだが、
いつの間にか自分自身を形成している細胞に染み渡る
一つ一つの”体験”という事実は決して消える事はない。
どうあがいても事実はそこに存在する。

それは自分自身の心が一番分かる。
どんなに誤魔化しても、体験は決して無くならない事を。
消化出来ない事柄が、心の奥で積もり積もって行く。
重い足かせとなって、私は常に何かに捕われている。

だから結局、全ての現実を受け止めなければならないのだ。
どんなに辛く、恥ずかしく、目を背けたい事柄でも。
事実を見つめなければならない。
面倒くさがらずに、簡単に誤魔化さずに。
ゆっくりとかみ砕くからこそ、吸収出来る。

そしていつか笑い話になるくらいに、
成長できればいいと思う。